2007年06月07日

母恋い つづき



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いつも大好きな和服を、きりりと着て、

大きな手提げ鞄には、これでもかと重たいパンフレットを詰め込み、

背筋を伸ばしてでかけていく姿は晴れやかで

持ち場の本郷弥生町から春日町近辺を

くるくると飛び回っていました。



「お母さんね、この詩が大好きなの」

それは今もリバイバルで流されている、谷川俊太郎氏の詩。

「愛する人のために」

みなさんも一度は聞かれたことがあるかと思います。

ズタズタな企業倫理の保険料の不払い問題が、

これほど大きな社会問題となった今となっては、

ただ虚しく、いかがわしく、空々しくしか聞こえなくなってしまった

この詩ですが

母はこの詩をほんとうに宝物のように

大事にかかえて歩いていました。

当時10代後半だった私でさえ、

こんなのきれいごとだよ。。と思っていたこの詩を

本気で実践しようとしていた母が、

なんだかとても可愛らしく思えました。

そして同僚も、もっと効率よくやらなくちゃまいっちゃうよ、

と陰口していたようです。


でも、しだいに母の非効率的な一生懸命が通じたのか、

お客さんからの口コミで契約もどんどんいただけるようになり

めきめきと実績をあげていきました。

ただ、そうなればなるほど苦しくなるのが母のアナログなやりかた。

お客さんのためにと奔走し日曜出勤もめずらしくありません。

母にとって家庭は何なのか。

家族と一緒の時間はどうしてくれるのだと、

いつしか母の代わりに、

父と祖母との仲をとりつくろうのは私の役目となっており

それも辛かったりして

「お母さんは、仕事に逃げているだけじゃないか」と

私もずいぶん母を責めてしまったことがありました。

でも家族のために働かざるをえなかった母とすれば、

誠心誠意飛び回るしかできなかったのです。



そんな数年が続いたある年、

母のからだはもうぼろぼろになっていました。

それなのに、白血病にむしばまれていた母のことに

家族も、病院も誰も気づけなかったのです。

亡くなる3週間前の母の日、だるそうに椅子にもたれている母に

桜色のマニキュアを塗ってあげました。

いっぽんいっぽんの指が今までの母の人生のようで

元気になってほしい一心で、丁寧にゆっくりとしあげました。

「こんないい母の日はないなぁ」 と嬉しそうな母の笑顔を見て

ふだんマニキュアなどつけなかった母の指先が、

ポッと桜色になったのを見て

なんだかこれで元気なってくれるかもしれない、

そんな気がしました。

それから月末の忙しさにまぎれ、母は仕事をこなし

忘れもしない亡くなるちょうど一週間前の夜

「今日はとっても気分がいいの、一緒にお風呂はいろっか」

と、珍しいことを言い出しました。

その日の母の白い背や肩を

今でも昨日のように思いだすことができます。

そして月があけた6月。やっと病院に向かった母は

たった4日入院しただけで、帰らぬ人となりました。

私が21歳の時でした。

誰もが母のからだがそんな状態だったと気づかず

母自身も気づいていなかったのか、

じきに予定されていた社内旅行を楽しみにしたまま

とうとう別れの言葉は何一つ交わすことができないまま、

いってしまいました。



葬儀は見知らぬ人たちであふれかえっていました。

母のお客さま、仕事の上司、後輩、同僚。

みんなが大事な母や姉や妹をなくしたように悲しんでいました。

その時に、

母が今までしてきたことがやっと見えてきた気がしました。


そしてこのあと、十数年、ずっと繰り返されてきた父と祖母の諍いが

不思議なことになくなっていったのです。

家族みんなが母に甘えてばかりだったことにやっと気づきました。

祖母が最期に父に感謝し、甘えて亡くなったことは、

皮肉にも母の死を持ってもたらされたものでした。

生まれたその日から、

ずっと誰かのために生きてきたような母だった気がします。



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posted by ゆる子 at 07:48| ゆる子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月05日

母恋い

こんにちは天然主婦ゆる子です。

今回は母の命日にちなみ、母のことをお話しようと思います。

今までもちょこちょこは書いたこともあるのですが

初めてじっくりと書いたものです。

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母は北海道の静内というところで生まれました。

子供に恵まれなかった祖父母のもとへ、

生後すぐに引き取られたようです。

昔はこのようなこともめずらしくはなく、

戸籍上も実子となっているからびっくりです。

当時農業指導員をしていた温厚で真面目な祖父と、

気性の激しいしっかりものの祖母

この二人の子として育った母ですが

もともと望まれて、もらわれてきたこともあり、

それはそれは大事に愛情をそそがれて育ったそうです。

しかし、そんな穏やかで幸せな時も、

12歳の時に祖父が結核で亡くなったことで変わっていきました。


それまで自分の生い立ちについてまったく知らなかった母でしたが

葬儀の時に、口さがない親戚から

実子でないことを明かされることになります。

こんなに自分を愛情たっぷりに育ててくれた両親が

血のつながった親でないと知ったときは

両親を愛するがゆえに、ほんとうに悲しかったそうです。

だからこそなおさら、この母を守っていくのは自分しかいないと

心に決め、祖母もそれから女手ひとつで母を育てあげました。


23歳の時に、札幌で出会った父と恋をして、結婚して

それから父の仕事の関係で東京にでてきたのが24歳の時。

すぐに子供を授かったのですが、

悲しいことに生まれてすぐに亡くなり

それから9年間子供ができず、

もうあきらめかけたときに私が生まれたそうです。

そして、それを機に札幌に残したままの祖母のことを、

東京に呼びよせました。

それから両親と祖母、そして私の生活が始まったのですが

祖母を呼び寄せたことが、母の苦しみとなりました。



もともとしっかりもので気丈な祖母は、

家事の達人で掃除、裁縫、料理、どれをとっても

文句のつけようのないほど手際よく、

まずボンヤリと座っていることのない人でしたが

その反面とても気性の激しいひとでした。

私も中学生の時に、

反抗期で何か祖母に憎まれ口をきいたのかもしれませんが、

包丁を持って追いかけられたことがありました。

ただ私も母も、そんな祖母のことは重々承知、

愛情が深すぎるゆえのなせるわざと、

うまく切り抜ける術は知っていましたが

父だけは、そんな祖母に我慢ならなかったようなのです。

私が物心ついたころにはもうしゅっちゅう父と祖母が言い争いになり

間に入った母がとりなすことが日常茶飯事、

そしてどうしても弱い立場の祖母をかばって

最終的に父と母が言い争いになるのです。

家に祖母か父のいない日は、

私にとってほんとうに心やすまる日でした。

それから数年後、父が勤めていた会社が倒産、

社長の保証人となっていた父も一緒に借金を背負うことになり、

父の働きはすべてそちらへ回され、

家のやりくりは母の背にかかってきました。

当時手に職もない母のこと、

とりあえず手っ取り早いのが保険の外交員だったのです。

保険の外交と言うと、飛び込みの営業では、

目の前でぴしゃりと戸を閉められるのは当たり前のことでしたが

母の口癖は、どんなことでもいい、

自分に与えられた場所で一番になれるように頑張る、でした。


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続く。





posted by ゆる子 at 08:05| ゆる子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月04日

紫陽花忌

こんにちは、天然主婦ゆる子です。


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じいじは、今日を紫陽花忌と名づけました。

なぜなら母が大好きな花が紫陽花だったから

今日は、母の祥月命日。

土曜日に、スマの学校の用事の帰りにお墓参りをしてきました。

お寺のご住職のお母さまが

「今年は27回忌なのよね、ずいぶん経ちましたね。。」

えっ?そうなんだ。。

話によれば、じいじには手紙を出したのだけどとのこと。

あちゃ〜 今年は母も年忌だったのだ。

じいじには、帰ってきてから事情を聞いたけど

またみんな揃って、お墓参りに行かなくちゃね、

ということになりました。

27年ということは、

私が21歳の時に亡くなった母ですから

もう母と過した時間を、一緒に過せなくなってしまった時間のほうが

超えてしまったのですね。

どんな悲しみも、時間という薬が少しずつ癒してくれるもの

私も母のことを忘れて、日々を過せるようになってから

ずいぶん時が流れました。

そんな時ふと母を思い出すと

今の幸せな日々に心から感謝しなくちゃと思うのです。


母のこと、昔のことを思い返して書いたものがあります。

「母恋い」と名づけました。

明日から二回に分けて、ここに書きたいと思います。


そしてこちらは妻への気持ちを俳句にこめた父のメッセージ。


亡妻(つま)愛でし 花にしあれば 紫陽花忌

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今年も庭の紫陽花が咲きました。







posted by ゆる子 at 06:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月31日

記念日に

こんにちは、天然主婦ゆる子です。

今日は結婚記念日^^

ちょうど21年前のこの日から遡ること半年前

その時、私はまるで太平洋ひとりぼっちみたいな気持ちでした。

母を亡くし、父と祖母を守るのは私しかいないと

気丈にしてはいたものの、

やはり胸のうちは、

大きな海に放り込まれて必死に泳いでいるような、

こころ細い想いでいっぱいでした。

そんな私の前に突然ふっと現れた人、

最初は私のタイプとはいえなかったけれど(ダディさんごめん)

なんだか大きな大きな船に見えました。

この人だけは、今までと違う、

きっと母がめぐり会わせてくれた人だと感じました。


竹野内 豊にも、オダギリジョーにもぜんぜん似てないし(笑)

薔薇の花束を渡すなんてこともできないダディさんだけど

私にとっては、大きな船でした。

7歳年上で、大きくて、スポーツが好きで。

私がずっと欲しいと思っていた、お兄ちゃんみたいな人。

面食いで、影のある人がタイプだった私にとっては異色の存在。

それなのに、いつのまにか私のサンドバッグみたいになってくれて、

大切な掛け替えのない人になっていました。

そんな今日は結婚記念日。

あなたがいてくれたから、今の私があるのです。

そう素直に感謝の気持ちを伝えます。

そしてこれからも、たさくん話していきましょうね、ダディさん。

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でも今日は京都の出張。

なのに、あなたは京都にいくの〜♪

大好物の日本酒を用意しているから、週末は乾杯しましょ^^




posted by ゆる子 at 07:58| ゆる子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月29日

糠漬け始めました^^

こんにちは、天然主婦ゆる子です。

糠漬け始めました。

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まるで冷やし中華始めましたとか、カキ氷始めましたみたい?(笑)

実は糠漬けにチャレンジするのは、これが3回目。

最初はダディさんのお母さんがまだ倒れる前に

種糠をわけてくれた時。

まだ一緒に住む前で、まりもが赤ちゃんのときでした。

初めての赤ちゃんのまりものことで、もういっぱいいっぱい、

もちろん、じきにダメにしました(トホホ。。)

そして2回目が4年くらい前だったか

じいじの末の妹にあたる、叔母が漬けて持ってきてくれた糠漬け

あんまり美味しいもので褒めちぎったら

それから数日後、大きな樽までつけて糠をわけてくれました。

よし、今度こそと思って、これは比較的長続きしたのだけれど

なにせ樽なので冷蔵庫にしまえない。

いつだったか、夏場に数日でかけたときに、カビができ

何とか復活させるべく努力はしたものの

もとの味に戻らず、ついにあきらめたのでした。

そして今回が三度目。

このあいだの法事のときに、ダディさんの従姉妹が

お米を精米して持ってきてくださり

ついでにと、糠も入っていました。

さりとて、一から漬けるだけの技量はないから

こんなの買ってきました^^

従姉妹も、こうした出来合いの糠床に

精米したあとの糠を混ぜて使うのだとか。

ならばやってみましょうと始めめてみました。

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これがけっこういけるのです。

ダディさんや、子供たちにも大好評、気をよくして朝に晩に

糠床せっせとかき回しています。

ほんとうにいい糠床になると

かき混ぜた後の手から何ともいえぬ、優しい香りがするんですよ、

そんな糠床めざして、がんばろ〜っと。

三度目の正直か、それとも二度あることは三度あるか

どっちにしても、三日坊主って言われないようにしないとね(笑)







posted by ゆる子 at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月24日

ネムリコの子守歌


こんにちは、天然主婦ゆる子です。

ごく小さな子供の頃の話です。

とにかく本の好きな子供でした。
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友達の誕生会に呼ばれても、食事が終わって、プレゼントを渡して

ケーキをいただいたら

元気に遊びだした友達の傍らで、平気で本を読んでいました。

かくれんぼの隠れ場所をみつけていても

本棚に面白そうな本をみつけてしまうと、

たちまちその場にすわって本を読み始めてしまうのです。

みんなが周りでどんなに騒ごうと飛び跳ねようと、声をかけようと、

どこ吹く風。

友達のお母さんが、笑いながら母にそのことを話したそうです。

こういうと、

ものすごく読書家の賢い少女を連想されるかもしれませんが

私が好んで読んだのは、ほとんどがファンタジーやお伽噺のたぐい。

日常と切り離された異空間に飛び立つことが好きだったのでしょうけど

もしかしたら現実逃避??(笑)

オトフリート・プロイスラー、ロフティング、トーベ・ヤンソン、

思い出せないものもたくさんあるけれど、

中でも 佐藤さとる のお話が大のお気に入りでした。

その中でも特に気に入っていたのが 「ネムリコの話」。

もう手元に本はなく、詳細は忘れてしまったのですが

病気がちの少女りつ子が、

夢のなかにいる元気で活発な自分にネムリコという名前をつけ、

夢とうつつとのあいだを行き来するうちに元気になっていく

というようなお話。

違っていたらごめんなさい。

日常の中の、非日常のような、

いつもの帰り道で横丁の角を曲がったら

空が急にななめになってたみたいな不可思議な世界に迷いこみ、

異空間がのぞきみできるような雰囲気がたまらなく好きでした。

私は決して、病弱な少女ではなかったけれど、

唯一の弱点が扁桃腺をはらして高熱を出すことでした。

ただ、時々そうやって熱を出すのを

ちょっとだけ待ち遠しく思うときがありました。

なぜかって。。

当時母は私を祖母に預けて、朝から晩まで仕事に出ていました。

祖母がいるから安心して仕事ができたのでしょうが、

夕暮れになると母が恋しくていつも祖母を困らせていたみたいです。

そしてそんな母が、

熱を出したときだけは、病院に私を連れてから仕事にいき

出社後も何とか仕事をやりくりして、

早めに私の好物を買って帰ってきてくれるのです。

この日は思う存分母に甘えられる。

病院に行く時も、

たぶん小学校の低学年までは母に負ぶさって行ったような気がします。

近所のスーパーのおばさんに、

「あらら、大きな赤ちゃんだねぇ」

なんて笑われてもへっちゃら、

この日は思いっきり甘えるんだもん!と

母の背中に顔を押し当てて幸せでした。

そして布団に入って、ウトウトしながら、

りつ子やネムリコになって母の帰りを待つのがちょっと好きでした。

しかしながら、母も考えたのでしょう。

こうしょちゅう熱を出されたら、困っちゃう(笑)

それに高学年になることだし、

学校だってそうそう休めるものでもないと。

そして5年生になる春休みに扁桃腺をとってしまいまいた。

それからというもの、もののみごとに熱を出さなくなり

夢の中のネムリコと会う機会もなくなりました。

そして部活動や友達との会話のほうが魅力的になり、

いつしか夢物語も、あまり読まなくなっていったのです。

大人になっていくということは、

曖昧や夢見心地や不確かなものを少しずつ道端に置いて、

歩きやすくしていくことなのでしょうか。

あの頃の若くて元気な母はとうになく、

その面影も曖昧の中へと昇華されていきました。

一日だけでいいから、

あの日の母と私にもどってみたいと思うことがあります。



イラスト mattarihonnpo




posted by ゆる子 at 08:00| ゆる子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月21日

ありがとう

こんにちは天然主婦ゆる子です。

今回の私の我がままを快く聞き入れてくださった皆さんへ

心からありがとう。

びっくりさせたうえに、身勝手なことばかり。

それなのに、温かなコメントやメールをいただき

週末は色々考えました。


スマイリーからも、

ゆる子さん、やめちゃだめだよ、と

励ましとも、プレッシャーともつかぬような

メッセージをもらいました(笑)


いつも、ついつい長レスになってしまう私のお返事にも

励みになっていたんですよと、嬉しいひとことをいただき

ああ、こんな私の拙いコメントでもよかったのかと

あらためて皆さんの優しさに感謝です。

だから、あせらずに、ゆるゆると始めようと思っています。

予定は未定ですが、できれば来月の母の命日が過ぎたころには

コメントも再開できればと考えました。

たかがブログ、されどブログ、大切な宝ものなんですね。


昨日の夕空に見えた、上弦の月と宵の明星。

あまりにきれいだったから写真を撮ろうとしたのだけど

私のデジカメでは歯がたちませんでした。

そこで、お〜い、とスマを呼んで

彼の大切な一眼レフで撮ってもらった月と金星。


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この夜空は日本中から見上げることのできる夜空。

ここで出会った人たちも、見上げているかなぁと想いを馳せます。

この空は、ずっとずっとどこまでもつながっているんですね、

そんな空にうかぶ、月と星をみながら

みんなにありがとうと、思った夕暮れでした。







posted by ゆる子 at 20:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月18日

ひとくぎり

こんにちは、天然主婦ゆる子です。

さて、突然なのですが、
このブログ、ひとまず、ここでひとくぎりにしようかと思います。
ひとくぎりといっても、やめるということではありません。

ほんとうのことをいえば、
この春くらいからずっと考えていたことでした。
迷って、迷って、どうしようかと思ってきたのですが
ダディさんの両親の法事を終えて、なんだか気持ちに区切りがついたみたいなので、大切な皆さんにお話しすることに決めました。

ここを始めたのは、去年の1月のこと。
一昨年の夏に、ダディさんのお母さんが亡くなって
介護を終えてできた時間で始めたことでした。
今までの天然家のことを含め、母の絵手紙を紹介したいという気持ちもありました。

母の絵手紙は、晩年の母の生きがいみたいなものでしたが
私はそれをずっと素敵だと思ってきました。
そして母なきあと、もっとたくさんの人に見てもらいたいと思ったのです。
母は、脳梗塞で倒れてからは、外に思うようにでかけることもままならず、そこでやっとみつけた楽しみ。それが絵手紙。
ちょうど家族のためだけに生きてきたような世代の母たちですが
これからやっと自分のために楽しむときだという頃に倒れてしまい、
結局ひっそりと家で過すことが増えた晩年、
だからこそ、母が存在したことを、そしてひとつひとつに想いをこめて描いた絵がここにあることを、もっとみんなに知ってもらえたらと思いました。
そんな絵手紙の紹介も、今回でひとくぎりしたように思います。
まだあるのですが、少し整理しないとなりません。

そしてちょうどまりもの大学受験の頃でもあったブログ開始時
母娘のぶつかりや、迷いもありました。
そんなまりもも、最近はすっかり大人になり、スマイリーもどんどん親離れしています。
これからは、少し自分と向き合っていきたいなぁと思っていた矢先
実は冬の仕事の暇な時期をみはからって受けた市の癌検診で
要精密検査の結果がでてしまったのです。
ここで心配されるといけないので、結論からいいますが
精査の結果はセーフでした。

ただ検査の性質上、再検査まで一ヶ月以上間を空けなくてはならず
宙ぶらりんの、ちょっと不安な待ち状態の時期がありました。
でもここで何か言えば、みんなに無駄に心配をかけてしまうので
結果が悪いものだったら、仕方ないので報告せざるを得ないなぁと思いつつ、それまでの自分の心の行き所として
ひとり言のつもりで始めたブログがあります。
誰に見られなくてもいい、むしろ見てもらいたくないと思って書いたものですが、次第に昔の自分と向き合う場所になっていきました。

ずっと以前から、幼い頃からの自分のこと、父や母のこと、祖母のこと、そして恋の話しなど書いてみたいと思いつつ
どこから手をつけていいやらということがあったのですが
たまたま始めたブログが、気がついてみれば
ある意味、ちょっとした自分史みたいになっていることに気づきました。

ちょうど私も、あと一年とちょっとで半世紀生きてきたことになってしまいます。
そろそろ、これからは自分のために、自分のやりたいことに向かって
好きなことからはじめてみてもいいかなぁと思ったりしています。

そしてひとくぎりついたことで、いったんここを閉めようかとも考えたのですが、やっぱりここが可愛くて、とてもやめられそうにもないということに気づきました。
ゆる子は、私の分身というか、私そのものであり、
家族のもろもろが、愛おしい日々がたっぷりつまっています。
そしてここを応援してくださるたくさんの方と出会った大切な大切な場所なんです。
そしてコメントこそなくても、毎日のように開いてくださっている方も思いのほか多いのです。

そんな私の大切な方たちへのメッセージだから正直にお話しますが
今現在、仕事をしながら、二つのブログを書いていくということが
かなりしんどくなってきました。
とはいっても、ここでも伝えていきたいことはまだまだあります。
もうひとつのブログが自分へ向かっていくブログなら
ここは家族と私のブログ、母として、妻としての元気な私がいる場所です。
もうひとつのブログもご紹介できればいいのですが、まだまだ未完成
未熟のかたまりみたいなものなので。。
どちらがほんとうで、どちらが嘘ということもありません。

ただこちらがひとくぎりついたような気持ちになっているということだけです。

そこでとうぶんのあいだ、ここは子供達のことや、下町散策いがいは
もうひとつのブログからの一部転載や、詩や短い文章などの
変則的なアップにしていこうと思います。
コメントのつけにくい内容になることもあるし、たくさん更新したりしばらくあいたり、
超マイペース超身勝手な更新になると思います。
ゆえに、しばらくのあいだ、コメント欄を閉じさせていただくことにしました。
ほんとうに勝手なことばかり言ってごめんなさい。
そう決めるまで、かなり、かなり悩みました。
私にとって、それほど大きな存在になっているここです。

そして皆さんからの温かなコメントが、どれほど私の励みになってきたかと思うと、そこを閉じるということは身を切られるような思いなのですが
不器用な私は、あっちこっち手一杯になってしまうんです。

身勝手ついでに少しゆっくりして、読みたい本を読む時間を作ったり
少し早めに寝るようにしたりして充電期間にあてる決心をしました。

今までにいただいたり、お返事したりしたコメント総数が2459。
ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。
私の大切な宝物です。

そして、ゆる子がいなくなったわけではないので
皆さんのところへも、遊びに行きます。
ここもたまに開いてみてくださるとうれしいです、
今までと違った私も発見してくださるかもしれません。

私にコメントをくださる皆さんは、ほとんど年下のお友達ばかり。
皆からいただいた元気は山ほどです。
そして誰もが大切な人であり、いつも応援しています。
今回は困った姉さんの我がままと思って許してください。
きっと寂しくなって、今夜は泣くかもしれません。
すぐに我慢しきれなくて、
コメント欄来月はついているかもしれません。

でも、今はとりあえず、ひとくぎりです。
ちょっぴりゆっくりします、
ほんとうにありがとうございました。



posted by ゆる子 at 21:53| ゆる子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月14日

10年

こんにちは、天然主婦ゆる子です。

週末の法事、おかげさまで無事終えました。

今回は、下町記事を一回先送りして、

久々の母の絵手紙です。


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   おとうさんと
        オニオンサラダで一杯やります



昨日は母の日。

私の実母はとうになく、ダディさんのお母さんも三回忌、

もう母の日にお花を渡す人もいなくなってしまいました。

今回の法事、ダディさんのお父さんの十三回忌と

お母さんにお三回忌だったのですが

やはり母の方が、直近ということや、

父方の親戚の都合がたまたま合わなかったりで

母方の親戚の方が大勢集まってくれました。

母は、小田原の山北というところの出身、

近くには、足柄山の金太郎さんで有名なところもあるようです。

「生まれたところがところだけに、私は金太郎さんによく似てる」

なんておどけて、笑って言うときもあった母ですが

若い頃はぽっちゃり系ながら、なかなかの美人さんだったのです。

お洒落なつば広の帽子に裾の広がったワンピース。

長身の父と一緒に写真におさまる母は、どの写真も笑顔で

私からみても、とってもチャーミングです。

後年、脳梗塞で倒れてからも洋服を見に行くのは大好きで

ビーズのアクセサリや、鮮やかな色のスカーフを見る母は

少女のようにいい笑顔でした。


そいうえば集まった母の甥っ子さんたちから

「まりもちゃん、おばちゃんに似てるよな〜」という話がでました。

最近は私にもよく似てきたと言われるまりもですが、

基本的にはダディさん似、そしてダディさんはお母さん似

だからその方程式は正解なはずです。


実母を早くになくしていた私なので

まりものお産のときは、母が何もかも面倒をみてくれました。

そして私もダディさんが泊まりの出張の日は心細くて

まだ赤ん坊のまりもベビーシートに載せては

車をとばして、よく泊まりに行ったものです。

そしてまりもが10ヶ月の時、

私が急な虫垂炎で急きょ入院しなくてはならなくなった時も

頼るところは、もちろんダディさんのお母さん、

ちょうど人見知りが激しくて気難しい時期だったまりもですが

なかなか寝付かないまりもを一晩中おんぶしてくれたのも母でした。

だから孫の中でも人一倍手をかけたまりもには

母にしても、特別の思い入れがあるようで

「あんたは、赤ちゃんの時に、こ〜んなに小さかったのよ」

なんて、手のひらに乗るようなしぐさで

まりもを笑わせることもありました。

そんな母にまりもが似ている、

可愛がっていた甥っ子たちから言われたこんな言葉

母も聞きながらさぞ喜んでいることと思います。


今回の法事ではすっかり母に主役の座を奪われてしまったような

お父さんでしたが、

今ごろお母さん相手にぶつぶつ言いながらも、

「まあ、それでいいさ」

なんて穏やかに笑っているような気がします。

父がいた頃は、子供が小さいせいもあって

おさんどん以外はぜんぶ父頼りの日々でした。

お父さんが亡くなって13年、お母さんが亡くなって3年

お父さんから介護のバトンを受け取っての10年間でしたが

お父さんが、細やかにつけていた母の介護日誌は忘れません。

今回の法事ではごめんなさい、

そしてお父さんに感謝の言葉をあらためて、

ありがとう。

これからも二人仲良く見守っていてください。

お母さんの好きだった花たちが、今年も咲きました^^


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posted by ゆる子 at 07:27| Comment(16) | TrackBack(0) | 母の絵手紙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月09日

下町めぐり 深川めし

こんにちは、天然主婦ゆる子です。

連休もあけ、忙しい日々が始まりました。

連休後半に行った下町めぐりの記事も更新しようと思いつつ

なかなか手がつけられず。。

そこで少し小分けにしてアップしていこうと思っています。


さて、ダディさんと始めた下町めぐり

実をいうと初めの一歩が、ちょうど一年前のゴールデンウィーク

隅田川のまわりを歩いたのがきっかけでした。


ダディさんのお母さんの介護を終え、子育てもひと段落して

できた時間で始めたブログ、そして下町めぐり

子供がついてくるようなお出かけが少なくなった分

二人してあちこちふらふらと歩いたのですが

これが思いのほか楽しいのです。

こんな時間も大切だね、そして一年の早いこと。

どこまで続くかわからないけれど

ぼちぼちと歩いていこうね、そんなふうに思っています。

そしてブログもぼちぼちです^^



さて一周年の今回でかけたのは東京は深川、門前仲町かいわい。

ここは都心から地下鉄ですぐの場所なのに

川が流れ、どこか懐かしい風情があって

昔ながらの下町の人情や粋が感じられるところなのです。


さて地下鉄の門前仲町の駅を降りると、こんな交差点にでます。

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そして永代通りを右へ進んでいくと、やがて左手に

深川不動尊の参道そしてその先には富岡八幡宮が見えてきます。

その前にふらっと路地裏に寄り道すると

いしじま橋がかかる大横川にでました。

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川の両岸には桜並木が続き、花の盛りはさぞやと思わせる風景。

なんともう5月だというのに

まるで私たちを待っていてくれたかのように、

名残りの桜が一輪だけ咲いていました。

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川端の小道はここが都会だということを忘れさせてくれるような

緑のトンネルを作ってくれます。

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川面を見下ろすと、なんとクラゲちゃん。

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やっぱり海が近いのね〜

さて、そろそろお腹がすいてきたので

予定の深川めしのお店へ行くと、行列ができていました。

こりゃだめだ。。あっさりとあきらめて

とりあえず富岡八幡宮へ向かうと鳥居のそばに

戸外に長いすを出していてくれる深川宿というお店を発見。

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よしよし、ここでいただきましょう。

空は青く、新緑は陽に照らされて清々しく

こんな景色を見ながら食べる深川めしは絶品です。

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深川めしとは、あさりの炊き込みご飯のことで、

それは大工などの職人さんが弁当に持っていけるものを

という事で、生まれたと言われています。

噛むとじゅわっとあさりの味がしみだしてきます。

ご機嫌でパクパクしていると

どこからともなくギター片手のおじさんが現れ

「お食事中のみなさま、拙き一曲をお聴きください」と、

ポロンと流してくれました。

ああ、いい一日になりそうです。

さて腹ごしらえが済んだら、いよいよ八幡様に向かいます。

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追伸
週末にダディさんのお父さんの十三回忌とお母さんの三回忌を
一緒にします。
ちょっと準備でバタバタ。
コメレス、遅れるかもしれません、ごめんなさい。


posted by ゆる子 at 19:20| Comment(10) | TrackBack(1) | 下町めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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