2007年08月06日

忘れてはならない日


こんにちは、天然主婦ゆる子です。


443.jpg


8月6日午前8時15分、

ずっと昔、まだ幼かった頃

祖母が毎日楽しみにしているNHKの朝の連続小説

このドラマが、この日だけは、放送時間が変更になりました。

夏休みの私も祖母と一緒にドラマを見るのが朝の習慣だったけど

この日だけは、いつもと違う朝。

祖母と一緒にテレビの前で黙祷をしました。

その頃の私は、なんでこんなことしているのだろう

何かとても悲惨な出来事があったのだということはわかっても

それがどれほど大きな出来事であったのかという

実感はありませんでした。

大人になって、そしてブログを始めて

あらためて、色々な方のブログを通して知ったことがあります。

まず、平和教育のこと、

教師をめざして勉強中のまりもに聞いても

小学校、中学校を通して、

平和教育という特別の授業を受けたことはないとのことです。

同じくスマイリーにもきいてみましたが、

戦争や原爆については、

道徳の時間にちょっとふれるていどだったとのこと。

この平和教育、あるいは、平和学習と言われるもの

被爆地広島では、ふつうに行われているものであるらしく

やはり地域間で格差があるような気がします。

まりもが高校の修学旅行ででかけた長崎で

千羽鶴を平和の像にささげてきた時

翌日の新聞に、めちゃくちゃにされた千羽鶴の記事がありました。

そう、その中にまりも達がささげた千羽鶴もあったのです

でもめちゃくちゃにした人の真の胸の内は測りかねるとしても

その鶴を折りあげた子供たちもどれだけの子が

その鶴に想いをこめていたのかとなると微妙な気がします。

修学旅行の前に少しだけ触れて学習しただけだったそうです。

それは、今回のスマイリーの沖縄修学旅行にしても、しかり。

戦争や原爆の問題は微妙な部分もあって

なかなか触れにくいのかもしれませんが

被爆地ではないからそれでいいということではないと思います。

幼いうちにこそ、心の柔らかな頃にこそ

戦争や原爆の怖ろしさをきちんと話して

そして語り継いでいかなければいけないと思うのです。

そういう私も子供たちが幼い頃に

どれだけのことを話してきたかという、

ほとんどそんなことも考えずにきてしまったなぁと思います。


世界で唯一の被爆国日本が

果たさなければいけないことがあるように思います。

戦争の悲惨と、原爆の恐ろしさを世界に伝えること、

このようなものが

人の上に落とされたことじたい信じられないのに、

それがなぜ日本だったか、

どうしてアメリカは広島、長崎と立て続けに落としたのか。

私も勉強不足でわからないことだらけだけど、

ひとつだけわかっていることは

世界のどこの国であっても、

ぜったいに二度とあってはならないということです。


今の子は戦争はどこか遠い国の話だと思っているでしょう。

でもなんだか遠い国の話ではないような気がするこの頃です。

きちんと子ども達にも伝えないといけませんね、

そして今の平和を心からありがたく、

大切なものだと感じてほしいです。

小さな子なら、野坂昭如氏の小説をもとにジブリが作った

「ほたるの墓」など見てから、

一緒に話をする機会を作ってもいいのではないかと思います。

幼いなりに感じるものもあるでしょう。

その中で流れる埴生の宿
(はにゅうのやど、原題:Home! Sweet Home!)

甘くせつないこの曲には、故郷への想いや

あたたかな家庭のおだやかな風景が込められています

それだけに戦争の悲惨がより強く感じられるのです。

何かささやかでもいいから、少しだけ戦争について

大人も、子どもも考えるチャンスを作ってみたいですよね。


一昨日は我が家の近くで花火大会がありました。

441.jpg

いつものように屋上にあがって

ござを敷いて、家族そろって花火を見ます

みんなで見上げるその花火の美しいこと

こんな花火が見れるのも、平和があってこそ

その平和を考える機会を与えてくれる

8月6日、そして9日、また終戦記念日。

ちょっとだけ、子どもに戦争の話をしてみたいと思います。

NO MORE HIROSHIMA,NO MORE NAGASAKI

そう心に刻んで。

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花火の写真はスマイリー撮影





posted by ゆる子 at 06:15| Comment(16) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは^^

今回もあっという間にこの日が
来た感じがします。
常に隣の国がミサイルを向けている
現状を思えばいつ巻き込まれても
おかしくない状況になってしまいました。
昔と違って、若い男子は全員戦地へ!
という事はないかと思いますけど
こうやって綺麗な花火を見る事が出来る
瞬間を大事にしたいと思ってます。

近隣の国の日本に対する態度を思えば
ここまで平和でこれたのが
奇跡なのかもしれないですねぇ・・・。



Posted by じゅん at 2007年08月06日 20:54
こんばんは

戦争は 人の命を奪い合う怖いものですね。
小さい時 父から戦争の話を聞かされてました。
父は 戦争に行かなければならなくなる
少し前に戦争が終わったそうです。

戦争の怖さを実際に知ってる人が 
少なくなってきました。
それでも 伝えていかないといけないと思います。

スマイリー君撮影の花火 とってもきれいですね。
Posted by 優 at 2007年08月06日 21:24
私の母は広島に居た事があって、被爆してはいないのですが・・
電車にのると、ヒフが水ぶくれの方とかがたくさんいらして、それは・それは辛かったって話を聞いたことがあります。
絶対に許してはいけないこと!本当に日本が世界に伝えていかないといけないと思います。
父の兄は硫黄島付近で亡くなっています。
弟である私の父に自分の髪を切ったものを託したそうです。
その話を聞くたびに小さい私も涙がでました。
でもその話をしてくれる父ももういないのです。
なんだか切ないですね。
Posted by カカシ at 2007年08月07日 00:03
この日は、私の誕生日

物心ついたときから、目覚めると黙祷をささげてました。
そのせいか、戦争時代の話は興味深くあちこち聞き回れました。
日本は今は戦争はなくとも、原発はあるし。
札幌から100数十キロ離れた所に“泊原発”があります。事故の恐怖は戦争時代と同じ。
アメリカの実験したところから250キロでも被爆したそうですね。
今なら損害賠償も視野に入りますが当時はそれこそ非国民だとかで、訴える人は数少ないとか。
親となった今では考えることがなかった“こどもをどう守るか”ということは、重要課題です。
ちょっとひとりきりになる時間があったのですが、いっぱいいっぱいだった近ごろ…こんなことはたいしたことじゃないんですよね。
父も満州から必死ではぐれないように着いてきた幼少時代だったみたいなので、その頃を聞くと、強い子供または親になれるのかなと、いまだに思います。

小さい頃は経験談を祖父母に聞けたけど、母を含め、自分の子供たちの祖父母は戦後生まれなんですよね。
どう伝えていくか課題だと実感します。
Posted by ake at 2007年08月07日 00:08
■じゅんさん、おはようございます^^

そうですね、あっという間にこの日。
子どもの頃は暑くて蝉の鳴く夏休みの一日という印象だったけど
こんな年齢になって、はじめてその悲惨さに気づき
憤りを感じています。
若い男子は全員戦地へ!
子どもを持つ今になって思うけど
なんて理不尽で切なかったかとおもいます。
大事な夫や恋人や息子が有無をもいわさず連れていかれるのですから。
この平和を守ってほしいです。

隣国のミサイルの影も強く感じますね
平和憲法の問題も取りざたされているけれど
真の平和について国民も考えなくてはいけない時がきているように感じます。
日本もアジアで孤立してますものね
原爆を落とされたその大国にあまりに寄り過ぎる今の政治には疑問を感じる日々です。

Posted by ゆる子 at 2007年08月07日 06:15
■優さん、おはようございます^^

人と人、ひとりひとりは、きっと優しい父親だったり
純粋な青年だったりするはずなのに
ひとたび戦争と言う大義名分ができると
人の命を奪うことに理由ができてしまうのが
恐ろしいですね。

優さんのお父さまも、戦争にこそ行かないですんだ世代かもしれないけれど
きっと少年時代に悲惨な日々を見て大きくなられたのでしょう。
たくさん話をきいておきたいですね。
私も最近は父から色々聞いておかないとと思うようになりました。
そして子ども達にもきいてほしいですよね
あまりに平和で豊かな時代しか知らない子ども達です、
そしてその平和に、ちょっと影がさしているように思うこの頃です。

花火、私も撮ったのだけど、スマのほうがきれい^^;
Posted by ゆる子 at 2007年08月07日 06:24
■カカシさん、おはようございます^^

私は一度も広島へは行ったことがないんですよ、
やはり地元の方には
実際ご両親とか、祖父母が被爆された方がいて
私の世代は被爆2世の方が多いですね
たまたま今回そういう身近な声を聞くことができ
私も色々と考える機会をいただきました。
広島、長崎は、そういう意味でも特別な場所、
忘れてならない場所だと思います。

お父さまのお兄さまの話し
読んでいて涙がこぼれました。
渡したほうも、渡されたほうもどんなに切なかったことでしょう。
死を覚悟で愛する家族をおいて行く人。
引き止めたい気持ちを涙をのんで我慢するしかなかった人。
二度となってはなりませんね、
そしてお父さまとお兄さま、今ごろ再会されて
そうだねと、うなづいていらっしゃるかも。
Posted by ゆる子 at 2007年08月07日 06:33
■akeさん、おはようございます^^

akeさんは、そんな特別の日に生まれていたのですね、ほんとうにおめでとう。
多くのかけがえのない命はなくなってしまったけど
こうして新たな命も誕生する。
こやって貴重な命が継がれていくのだから人ってすごなぁと思います。
きっと62年前にも、akeさんと一緒の誕生日の赤ちゃんがいたはずです。
私たちも授かった命、大切にしたいですよね。

今も原発のこと、隣国のこと
核も遠い昔の話ではなく、違った形で
ますます私たちの身近にせまっているのでしょう。
親になって、あらためて感じるものがありますね、
この命はわが身に代えても守りたいけれど
大きな力の前にはどうしたらいいのか。。
当時の母親もみな涙をのんでいたことでしょう。
お父さまも、それは大変な思いをされたのですね
幼な心にもさぞ怖かったことでしょう。
そして、だんだん何も知らない世代になっていく。
ますます語り継ぐ大切さを感じますね。

子育てのいっぱいいっぱいは、また別のこと
akeさんは、きっと人一倍頑張り屋さんだからね
たまに息抜きしなくちゃ、
お母さんだってひとりの人間、いつもいつもお母さんの顔じゃ疲れちゃう、
誕生日くらい、一息つきたいよね。
チャージできれば、また可愛い笑顔を楽しむゆとりもできるはず。たまには甘えることもいいんだよ^^
Posted by ゆる子 at 2007年08月07日 06:57
ゆる子さん、如何お過ごしでしょうか。
今は学校で原爆や太平洋戦争の授業がないとのこと
少し驚きました。国の方針ですか?
私は昭和41年生まれですが
疎開、空襲、原爆等の話は学校で何度も聞かされました。
「黒い雨」も読みました。
こども向けの本もたくさんありましたよ。

何度も頭に叩き込まれたので、
戦争を知らない私でさえ
蝉の声を聞くと原爆のことを考えます。
帰ってこなかった兵隊さんのことを考えます。

ゆる子さんや私の世代にとっては
太平洋戦争はまだ生々しいのに
今の日本はもう「戦後」ですらないのですね。
不思議な、なじめない感じです。
Posted by yuko at 2007年08月07日 23:09
ゆる子さん、こんばんは^^

私も平和教育という特別な授業を受けたことがないです。
教科書でも、日本の歴史という流れのひとつとして
教えてもらったように思います。
恥ずかしいことですが、戦争というもの、
そして日本というものをまじめに考えるようになったのはつい最近です。
だめですね(´`;)

夏に綺麗な花火を見上げることができる幸せは、
平和の上に成り立ってるということを忘れてはいけないですね。
Posted by ゆゆ at 2007年08月08日 00:54
■yukoさん、おはようございます^^

今の現実はそうなんですよ、yukoさん。
少なくとも、私のまわりではそのような状況です
国の方針かどうかわかりませんが
戦争や核の真の恐ろしさを真剣に伝えようとしているようには感じません。
忘れてくれたほうが好都合なこともあるのかな。

そうですね、私たちの幼い頃は
まだまだ祖父母から色々な話がきけました
戦争中はね。という話しはじめがよくありました、
だけどakeさんも言われるように
もう今の子たちは、祖父母も戦争を知らないで育った年齢なんですよね。
これは真剣に語り継ぐしかないのだと思います。
そして草の根レベルだけでなく
やはり国として取り組んでもらいたいことだと思います。

蝉の声と原爆、ほんとうにいつも一緒くたになって想います
あの暑い夏に亡くなっていった方
遠い戦地で故郷を想いながら二度と祖国の地を踏むことの無かった方。
思い出さないといけませんね。
Posted by ゆる子 at 2007年08月08日 06:24
■ゆゆさん、おはようございます^^

平和教育、やはり、ゆゆさんも受けていませんでしたか。
ほんとうに限られた地域でしかされていないということなんでしょうね。
知らなかったこと
それは、ゆゆさんのせいではなく
むしろ大人の責任なんだと思います、
そういう私もね
子ども達に何を伝えてきたかというと
はなはだ怪しいのです。
こんな年齢になって、そしてまた核の恐ろしさが
身近に感じられるようになって
はじめてこれはいけないと思うようになりました。

そう、夏にきれいな花火が見れること、
美味しいご飯が食べられること、
愛する人を戦地に行かせる心配のないこと、
そんなあたりまえと思っていることは
みんな平和があってこそなのだと言うことを忘れてはいけませんね。

Posted by ゆる子 at 2007年08月08日 06:30
私も、つい先日高校時代の友達と何十年かぶりの再会をし
いろんな話をした中で
深く考えさせられたのは原爆の話でした。
三人で会ったのですが
一人は、幼い頃長崎で育ち
一人は、義理の兄さんが広島の原爆2世ということで
広島の原爆のセレモニーに一緒に出席してきたばかり
ということで・・・
たぶん始めて友達同士でそんな会話をした気がします
そこで気付かされました。
本当に地域間での原爆に対する温度差
同じ日本に住んでいながら、こんなに違うんだなと・・・
本当に、もっと真剣に考えていかなければならない事だと思いました。
Posted by 幸せおまけ箱 at 2007年08月12日 10:54
■幸せおまけ箱さん、こんにちは^^

そうですかぁ
ちょうどこの時期に偶然そんな機会があったなんて
なんだか不思議な気持ちがしますよね。
私も今まで何度もこの季節を迎え
過してきたはずなのに、それほど深く考えることもないまま来てしまったんです。
それが、ちょっとしたきっかけで
気づくことってありますね、
私もたまたま知り合りあいなって、お話を読ませていただくようになった方のブログを通して
原爆のことを考えるようになりました。
そして、たとえささやかでもいいから
私にできることをと思い
ここに書くことにしました。

ちょうど昨日、一昨日とテレビで
はだしのゲンをやっていて見ながらボロボロ泣きました。
それがどんなにつらく悲惨なことだったか、
二度と繰り返してはいけませんね、
そして子ども達には、温度差、地域差のないようにぜひ伝えてほしいと思います。
Posted by ゆる子 at 2007年08月12日 12:51
今晩は、ゆる子さん。

私のお祖父ちゃんは、戦地には行かなかったのですが戦争で戦うためにジャガイモやトウモロコシを作っていました(-"-;)お祖母ちゃんは、戦地に行く兵隊さんの為に「千本針」をしたことを話してくれた事があります(>_<)

いずれにしても、悲しい話しです(;_;)

私の家の裏には、防空壕があり、子どもの頃は遊んでいました。夏は涼しく、冬は温かい子どもたちの遊び場でしたよ(^o^)/

今は、防空壕はふさがれてしまいました!「子どもたちが入ると危険だから」と言うのは、たてまえで本音は「戦争の痕跡を隠したい大人たち(行政)」の命令らしいんだけど…

もう二度と、戦争は起こさないでほしいですねm(_ _)m
Posted by marimo at 2007年08月12日 21:23
■marimoさん、おはようございます^^

戦争中のお祖父ちゃんや、お祖母ちゃんのお話
とっても貴重なものですね、
私の父も肋膜という病気をした後で丙種合格という形で戦地へは行かない兵隊さんだったのですが、防空壕とか、武器庫などを作っていたそうです。
色々な人が、色々な立場でお国のためといって
戦っていたのだと思います。
大事な家族を失ってしまった人もいたろうし
自分の命より大切な子どもを
戦地へ送り出さねばいけないお母さんもいたことでしょう。

防空壕、そういえば私の子供の頃も
まだ所々に残っていましたね〜
戦争の傷跡は、それを体験した人なら
悲惨すぎて思い出したくない気持ちもあるでしょうし
また国も口をふさいでしまいたい事実もあるのでしょう、
でも平和な今だから、そしてもしかすると
また平和が危うい今だから
口を閉ざさず、唯一の被爆国として
伝えていかなければならないことがありますよね。

marimoさんは夏休みみたいですね、
楽しんでるかな^^
私も先週が追い込みで、なかなかおじゃまできずにいました、ごめんね。
今週からしばらくお休みです、更新もやっとできました^^
Posted by ゆる子 at 2007年08月13日 07:44
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