2007年06月05日

母恋い

こんにちは天然主婦ゆる子です。

今回は母の命日にちなみ、母のことをお話しようと思います。

今までもちょこちょこは書いたこともあるのですが

初めてじっくりと書いたものです。

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母は北海道の静内というところで生まれました。

子供に恵まれなかった祖父母のもとへ、

生後すぐに引き取られたようです。

昔はこのようなこともめずらしくはなく、

戸籍上も実子となっているからびっくりです。

当時農業指導員をしていた温厚で真面目な祖父と、

気性の激しいしっかりものの祖母

この二人の子として育った母ですが

もともと望まれて、もらわれてきたこともあり、

それはそれは大事に愛情をそそがれて育ったそうです。

しかし、そんな穏やかで幸せな時も、

12歳の時に祖父が結核で亡くなったことで変わっていきました。


それまで自分の生い立ちについてまったく知らなかった母でしたが

葬儀の時に、口さがない親戚から

実子でないことを明かされることになります。

こんなに自分を愛情たっぷりに育ててくれた両親が

血のつながった親でないと知ったときは

両親を愛するがゆえに、ほんとうに悲しかったそうです。

だからこそなおさら、この母を守っていくのは自分しかいないと

心に決め、祖母もそれから女手ひとつで母を育てあげました。


23歳の時に、札幌で出会った父と恋をして、結婚して

それから父の仕事の関係で東京にでてきたのが24歳の時。

すぐに子供を授かったのですが、

悲しいことに生まれてすぐに亡くなり

それから9年間子供ができず、

もうあきらめかけたときに私が生まれたそうです。

そして、それを機に札幌に残したままの祖母のことを、

東京に呼びよせました。

それから両親と祖母、そして私の生活が始まったのですが

祖母を呼び寄せたことが、母の苦しみとなりました。



もともとしっかりもので気丈な祖母は、

家事の達人で掃除、裁縫、料理、どれをとっても

文句のつけようのないほど手際よく、

まずボンヤリと座っていることのない人でしたが

その反面とても気性の激しいひとでした。

私も中学生の時に、

反抗期で何か祖母に憎まれ口をきいたのかもしれませんが、

包丁を持って追いかけられたことがありました。

ただ私も母も、そんな祖母のことは重々承知、

愛情が深すぎるゆえのなせるわざと、

うまく切り抜ける術は知っていましたが

父だけは、そんな祖母に我慢ならなかったようなのです。

私が物心ついたころにはもうしゅっちゅう父と祖母が言い争いになり

間に入った母がとりなすことが日常茶飯事、

そしてどうしても弱い立場の祖母をかばって

最終的に父と母が言い争いになるのです。

家に祖母か父のいない日は、

私にとってほんとうに心やすまる日でした。

それから数年後、父が勤めていた会社が倒産、

社長の保証人となっていた父も一緒に借金を背負うことになり、

父の働きはすべてそちらへ回され、

家のやりくりは母の背にかかってきました。

当時手に職もない母のこと、

とりあえず手っ取り早いのが保険の外交員だったのです。

保険の外交と言うと、飛び込みの営業では、

目の前でぴしゃりと戸を閉められるのは当たり前のことでしたが

母の口癖は、どんなことでもいい、

自分に与えられた場所で一番になれるように頑張る、でした。


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続く。





posted by ゆる子 at 08:05| ゆる子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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