2006年02月10日

ゆる子自己紹介 苦もあれば楽もあり、介護の日々

こんにちは、ゆる子です。
 
ありんこママコメントありがとう

うれしかったです

まだまだ、寒いけれど、

日の暮れるのがだんだん遅くなっているのに気づきました。

もうじき春ですね


13年前の天然家にも、春がやってきました。ゆる子完全復活です。

さあ、頑張るぞ!

とは思ってみたもののやはりダディさんのお母さんの介護は

いつまでという期限のないもの

もしかして、ちょっと逃げたいという気持ちが病気を呼んだのかな

そんな気もしないでもない。。

でも、もう逃げられるわけでなし

こんな時は正面から現実に向き合うにかぎります。

思い切ったら。意外とできるもんです。

逃げているうちはだめ。

実は、闘病15年めの去年の8月にお母さんは亡くなりました。

ゆる子が介護を始めて、10年目のことでした

10年の間には

車椅子を押して家族であちこちでかけたり、

お正月の一日に、家の中でころんで救急車で入院したり

夜中に何度もトイレ介護で起きたり

楽しいこと、大変なこと色々ありました

最後の2年ほどは、老人介護施設と

病院にいることがほとんどでしたが

いつもほがらかなお母さんには、こっちが励まされました

ゆる子はお嫁さんになってから

一度もお母さんから批判されたことがありません

いつも、子供たちやゆる子のことを大事に思ってくれましたし

ゆる子を頼ってくれました

やはり、「あなたが必要なのよ」というメッセージって

誰からもらっても嬉しいものですよね

腸閉塞を起こして、最後の8ヶ月はずっと寝たきりでしたが

ダディさんの妹さんも一緒に、皆で悔いの無いよう介護できたので

お別れのときも、

お母さんほんとうによく頑張ったね。という思いと一緒に

自分たちにもご苦労さまという気持ちでした。

あれから半年たち、お母さんのいない日々があたりまえになってきましたが

ついこのあいだ、新聞で

お産で入院しているお嫁さんにお義母さんが暖かなものを食べさせたいと

雪の中、一生懸命歩いてやってくるという話を読んでいたら

18年前の長女まりものお産の時のことを思い出して

涙が出てしまいました。

ゆる子の母は、ゆる子が21歳の時に病気で亡くなっていたので

初めてのお産で不安なゆる子は

退院してからダディさんの実家でお世話になりました

そのときにお母さんが作ってくれた暖かなお汁粉や、かす汁の味が今も忘れられません

そこにはお母さんの愛情がたっぷり入っていました

お母さんも今頃は少女の頃に戻って走り回っていることと思います。

なぜって?

なぜなら、最後に意識が朦朧としてきたときに、

「はやく走ろう!走れるような気がする」って何度か言っていたんです

だから、きっと今頃は自由になって、

思いっきり好きなことをしているんじゃないでしょうか


  
長くなりましたが、これで、天然家の今までのあれこれはひと段落であります

さあて、それでは、いよいよ天然家の極楽な日常の始まりであります

これからもよろしくね^^
posted by ゆる子 at 14:40| Comment(1) | ゆる子、天然家のこれまで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「はやく走ろう!走れるような気がする」

走ってるんだろうな。

すぐ感情移入して、涙もろくなるって、きっとその人の深みかも。。。

天然家の極楽ゆる子さん、がんばってください。
Posted by あっきーん at 2006年02月11日 10:41
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