2007年06月28日

鈍行列車のメンテナンス


こんにちは天然主婦ゆる子です。

ここのところ仕事が忙しく、また子供たちが出るのが早くて

5時前に起きる日が続いています、

ああ、ちょっと危ないなぁと思っていたら

またこの時と同じ状態になってしまいました。

仕事を休むか、パソコンを休むかすればいいのですが

そして仕事休む〜〜って決められたらいいのですが(笑)

さすがにそれはできないので

今週はパソコンお休みです。

元気ですからくれぐれも心配しないでください、

書きたいこともいっぱいあるので、来週には更新もします。

黙っていればいいのだけど

みんなのところへ行くのも

ちょっと休憩するので(読み逃げごめん^^)

やっぱりひとことお知らせです。

再開したとたん、もうエンストかよぉってあきれないでね

鈍行列車、メンテナンス中^^


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2007年06月25日

スマイリーの沖縄便り


こんにちは、天然主婦ゆる子です。

先週の土曜日に、スマイリーのクラスの食事会がありました。

美味しい和食のランチをいただきながら

話すこと3時間。

そろそろ口の重くなる年頃の息子たちからの情報は限られたもの

みんなここぞとばかり情報交換の話に花が咲いていました。

そして誰もが口々に言っていたのが沖縄旅行の話し。

どの子も存分に楽しんできた様子で、まだ余韻覚めやらずとのこと

ああ、いずこも同じかぁ〜

中には母へのお土産が沖縄の塩だった子もいたとか

「敵に塩を送るってかい?」とみんな大笑い。

いえいえ、

きっと美味しい料理に使ってくだいという優しい気持ちですよね^^



さて、そんなスマの沖縄修学旅行写真集であります。

今回はさすがに自分の一眼レフデジカメは持っていけず

まりもがお小遣いから買った小さなデジカメを借りていきました。



飛行機の窓からの景色、はるか下に島が見えるのだけど
ちょっと小さくてはっきりしませんね〜

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たぶん初日に泊まったホテルからの景色。
超豪華版のホテルだったそうな、ウェルカムドリンク飲み放題って
年頃の男子相手では、あがったりでしょう^^;

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二日目は雨のためトレッキングが中止、
美ら海水族館に行ったそうです。
この水族館、このあいだマンタの赤ちゃんが生まれたと話題になったところです(残念ながらなくなってしまいましたが)
ほんとうに感動するくらいきれいな光景が見れるそうです。
写真の下の影絵のようなのが人影、水槽の大きさがわかりますよね。

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石垣島に渡ってから、そこを拠点にまずは竹富島へGO!
竹富は家並みが昔のまま残っていて
沖縄情緒満点だったらしいです。

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モノクロモードの一枚。

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屋根の上にはシーサーがにっこり。

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名物水牛車の島内観光、スマたちはお小遣い節約で見てるだけ〜
だったそうです。

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翌日は西表に向かいシュノーケリング。
肌の弱い子は日焼けで水ぶくれになった子もいたとか。。
スマは地黒だし、野球で焦げているので問題外。
足元を熱帯魚が、あふれるほど泳いで、それはきれいだったそう。
足の立たない沖まで出てのシュノーケリングだったようです。

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翌日はまた西表でカヌー。
最初上流で川遊びをしてから、亜熱帯の鬱蒼とした木々を縫うように8キロほど下ってくるそうです。
川で魚を追い掛け回し7歳児と言われたらしい^^;
でも本人、最高に楽しかったとのことです。

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こんなトンボも逃げません。

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だんだん川幅は広くなり、

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河口に無事到着。

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最終日は、大雨で石垣で飛行機が飛ばず足止め。
やっと飛んだものの、那覇の国際通りの見学は時間切れで
中止となりました。
でもお釣りがくるほど楽しんだので、あきらめもついたそうです。

またきてね〜と、シーサーも笑ってる^^

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そんなスマイリーの沖縄修学旅行でした。




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2007年06月19日

帰ってきました

こんにちは、天然主婦ゆる子です。

スマイリーが沖縄の修学旅行から無事帰ってきました^^


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ピンポ〜ン♪ ただいまのチャイム。

ドアを開けると、くら〜い顔のスマイリーがいました。

ええっ?どしたんだろう!

ず〜っと雨で何もできなかった? それとも友達とでも喧嘩した?

母の頭の中は良からぬ想像がかけめぐりました。

「どうしたの? 何かあった?」

「いや〜楽しすぎて、帰ってきたくなかったぁ。。」

おいおい、それはないでしょう、

母はこんなに心配して帰りを待ち焦がれていたというのに!

まあ、心配したようなことでなくてよかったですけどね^^;


話をきけば、思いのほか天気に恵まれ

特に離島コースの日はいずれも晴天、

シュノーケリングもカヌーも思う存分楽しめたとのこと、

確かに真っ黒になっていました。

メールもちゃんと届いていたらしく、

「なんでちゃんと返事くれないの!ずっと雨かと心配したじゃない」

そう言ったら、いやぁ〜長くなりそうだったので。。

ですとさ。。もう知らん。

そして翌日には宅急便でたくさんの洗い物も帰ってきました。

一応海での汚れ物は下洗いしてくれていたし、

ダディさんと私にはペアのグラスを、まりもには月桃の化粧水を

(お姉ちゃん、あら、案外センスあるね〜と感心してた^^)

じいじにはタツノオトシゴの壁掛けを(よくわからんけど)

買ってきてくれたので情状酌量ということにしました。

そして自分には何か買わなかったの?と聞いたら

「いや、僕には思い出というお土産がありますから」

なんて吹き出しちゃいそうなこと言ってました。

どうやらお小遣いが底をついて買えなかったみたいです。

でも確かに楽しい思い出は山盛りできたみたいで

それは何よりだったと思います。



スマイリーが言うには、やはり離島観光が最高によくて

西表島、竹富島の自然や昔ながらの家並みに感動したとのこと

そして島の人たちが自然環境を守ろうと小さなことから

努力している姿を見て感じるものがあったそうです。

例えば、ペットボトルひとつ捨てるにも

外にいるときもボトルとラベルを別にして分別するなど。

やはり世界に誇れるほどの自然を守るために

島にいるひとりひとりが心がけていることがあるみたいです。

美しい自然のうらには、そんな努力があることを感じられたこと

ほんとうによかったと思います。


スマからのお土産のグラスで、さっそくダディさんと一緒に

ビールをいただきました。

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美味しかった〜

次回はスマのお土産写真をご紹介しますね^^









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2007年06月15日

うれしいリメイク

こんにちは天然主婦ゆる子です。

スマイリーは明日帰ってきます。

やっと晴れマークがついた沖縄ですが

昨日の朝、天気のことが気になったのでメールをしました。

こういう旅行や合宿の時も、メールひとつしてこないスマイリー

高校生の男の子なので、まぁ当然といえば当然なのですが

それは重々承知の母なので

「毎日雨ですか?」

と、超短い電報のようなメールを送ったのですが

果たして。。およそ一日経過した今も返事はございません。。

予想していた結果とはいえこちらも心配しているのにね〜

明日洗濯物いっぱい持って帰ってきても洗ってやらないぞ!



そんな天然家はスマの不在で静かで穏やかな日々ですが

最近まりもがちょっとはまっているのがリメイク。

あいもかわらず、忙しい毎日のまりも。

でもそこは年頃の女の子。

毎日大学に着て行く服を選ぶのが悩みの種らしいのです。

アルバイトを始めてからは、お小遣いはいっさい渡していないので

自分のお財布でやりくりするので、そうそう洋服も買えません。

そこで思いついたのがリメイク。


私が昔着てとってあったワンピースや、

果ては私の母が着ていた服まで

じいじのところへ行ってゲットしてきました。

そしてすそ丈を短くしたり、少々手を加えたりして着ているのです。

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こんな華やかな(派手な)柄最近の子は着ないだろう〜

なんて思うのですが、サマーニットのベストを合わせたり

シンプルなブラウスやTシャツ、

グレーのパーカーなどと組み合わせると

なかなかお洒落に見えるから不思議です。

特に私の母、まりもにとってのばあばが着ていたスカートは

友達にも好評らしく、

実は祖母のおさがりだと言うとみんなびっくりするらしいのです。

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してやったりの、まりも。


そして私は。。

なぜかまりもが高校時代に家庭科で作ったブラウスを最近着ています。

まりもはぜったい着たくないそう(笑)

まりものお蔵入りの服が入っている引き出し

何か掘り出し物はないかなぁ〜と、ごそごそしてたら

あった、あった。

けっこう着心地がよくて、可愛いのです。

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「え〜お母さん、それ着るの?よくみつけたねぇ」

「ふふっ、だってもったいないじゃない」

口ではなんだかんだ言ってても、まりももちょっと嬉しそう。

職場でもなかなか好評、お蔵入りからの復活だもの

ブラウスだって喜んでいるはずです。


でも最近はやりくりに四苦八苦のまりも、

ひさしぶりに一緒にでかけて、服を買ってやろうかと思っています。

これで私もボーナスでも出ればお財布のひもも緩むのだけど

パートの身ゆえ、ボーナスはございませんの(涙)

ま、いっか、たまのショッピング、楽しまなくちゃね^^








posted by ゆる子 at 07:47| Comment(12) | TrackBack(0) | まりも | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月11日

さあ、出発

こんにちは天然主婦ゆる子です。

色々我がまま言わせていただきましたが

そろそろコメント欄も再スタートしようかと思います。

ゆっくりと鈍行列車ですが、こりずにお付き合いいただければ

嬉しいなぁと思っています。


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今日からスマイリーが沖縄へ修学旅行にでかけました。

なんともはや、すき好んで梅雨時にでかけなくても。。

と思うのですが、

色々な都合上、どうしてもこの時期になるらしいです。

案の定、傘マークがずらっと並ぶ週間予報(泣)

それでも本人はルンルン、

今朝も4時半に起きて始発にのってでかけていきました。

集合は羽田に7時半なのだけど

途中で電車に遅れが出るといけないからと、

朝ごはんは空港で軽く食べるからということらしいです。

ただ友達と朝ごはん食べたいだけじゃないかと

母はちょっと勘ぐっているのですが

確かに首都圏の最近の電車は、車両点検や人身事故で

しょっちゅう遅れが出て、あてになりません。

まあ、しかたないでしょ。

とにかく元気でいい思い出を作ってきてくれれば文句はありません。



そんな雨模様の土曜日、

3年ぶりに梅酒を作りました。

流れる雲に雨の気配がただよい始めるこの季節

スーパーに青梅が並び始めると、そわそわしてしまうんです。

そして買ってきたのが、こーんな青梅


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そして、こんなんなりました〜♪


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さてこの梅酒が琥珀色になるまでどれくらいかかるかなぁ

楽しみに待ちます。

ただ今回ちょっと迷っているのが

このあいだ新聞に梅酒にあとからプラムを足すと、

きれいな色のとっても美味しいお酒ができるとのことが

書かれてあるのを見つけました。

以前プラムで作った果実酒がもう絶品だったのです。

だから今年の梅酒に、プラムの季節がきたら、足してみるか、

はたまた梅酒は梅酒らしくシンプルに、

プラムはプラムでつけるべきか迷っているのです。

さて、どうなるか。。楽しい悩みはつきません^^













posted by ゆる子 at 08:00| Comment(12) | TrackBack(0) | ゆる子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月07日

母恋い つづき



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いつも大好きな和服を、きりりと着て、

大きな手提げ鞄には、これでもかと重たいパンフレットを詰め込み、

背筋を伸ばしてでかけていく姿は晴れやかで

持ち場の本郷弥生町から春日町近辺を

くるくると飛び回っていました。



「お母さんね、この詩が大好きなの」

それは今もリバイバルで流されている、谷川俊太郎氏の詩。

「愛する人のために」

みなさんも一度は聞かれたことがあるかと思います。

ズタズタな企業倫理の保険料の不払い問題が、

これほど大きな社会問題となった今となっては、

ただ虚しく、いかがわしく、空々しくしか聞こえなくなってしまった

この詩ですが

母はこの詩をほんとうに宝物のように

大事にかかえて歩いていました。

当時10代後半だった私でさえ、

こんなのきれいごとだよ。。と思っていたこの詩を

本気で実践しようとしていた母が、

なんだかとても可愛らしく思えました。

そして同僚も、もっと効率よくやらなくちゃまいっちゃうよ、

と陰口していたようです。


でも、しだいに母の非効率的な一生懸命が通じたのか、

お客さんからの口コミで契約もどんどんいただけるようになり

めきめきと実績をあげていきました。

ただ、そうなればなるほど苦しくなるのが母のアナログなやりかた。

お客さんのためにと奔走し日曜出勤もめずらしくありません。

母にとって家庭は何なのか。

家族と一緒の時間はどうしてくれるのだと、

いつしか母の代わりに、

父と祖母との仲をとりつくろうのは私の役目となっており

それも辛かったりして

「お母さんは、仕事に逃げているだけじゃないか」と

私もずいぶん母を責めてしまったことがありました。

でも家族のために働かざるをえなかった母とすれば、

誠心誠意飛び回るしかできなかったのです。



そんな数年が続いたある年、

母のからだはもうぼろぼろになっていました。

それなのに、白血病にむしばまれていた母のことに

家族も、病院も誰も気づけなかったのです。

亡くなる3週間前の母の日、だるそうに椅子にもたれている母に

桜色のマニキュアを塗ってあげました。

いっぽんいっぽんの指が今までの母の人生のようで

元気になってほしい一心で、丁寧にゆっくりとしあげました。

「こんないい母の日はないなぁ」 と嬉しそうな母の笑顔を見て

ふだんマニキュアなどつけなかった母の指先が、

ポッと桜色になったのを見て

なんだかこれで元気なってくれるかもしれない、

そんな気がしました。

それから月末の忙しさにまぎれ、母は仕事をこなし

忘れもしない亡くなるちょうど一週間前の夜

「今日はとっても気分がいいの、一緒にお風呂はいろっか」

と、珍しいことを言い出しました。

その日の母の白い背や肩を

今でも昨日のように思いだすことができます。

そして月があけた6月。やっと病院に向かった母は

たった4日入院しただけで、帰らぬ人となりました。

私が21歳の時でした。

誰もが母のからだがそんな状態だったと気づかず

母自身も気づいていなかったのか、

じきに予定されていた社内旅行を楽しみにしたまま

とうとう別れの言葉は何一つ交わすことができないまま、

いってしまいました。



葬儀は見知らぬ人たちであふれかえっていました。

母のお客さま、仕事の上司、後輩、同僚。

みんなが大事な母や姉や妹をなくしたように悲しんでいました。

その時に、

母が今までしてきたことがやっと見えてきた気がしました。


そしてこのあと、十数年、ずっと繰り返されてきた父と祖母の諍いが

不思議なことになくなっていったのです。

家族みんなが母に甘えてばかりだったことにやっと気づきました。

祖母が最期に父に感謝し、甘えて亡くなったことは、

皮肉にも母の死を持ってもたらされたものでした。

生まれたその日から、

ずっと誰かのために生きてきたような母だった気がします。



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2007年06月05日

母恋い

こんにちは天然主婦ゆる子です。

今回は母の命日にちなみ、母のことをお話しようと思います。

今までもちょこちょこは書いたこともあるのですが

初めてじっくりと書いたものです。

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母は北海道の静内というところで生まれました。

子供に恵まれなかった祖父母のもとへ、

生後すぐに引き取られたようです。

昔はこのようなこともめずらしくはなく、

戸籍上も実子となっているからびっくりです。

当時農業指導員をしていた温厚で真面目な祖父と、

気性の激しいしっかりものの祖母

この二人の子として育った母ですが

もともと望まれて、もらわれてきたこともあり、

それはそれは大事に愛情をそそがれて育ったそうです。

しかし、そんな穏やかで幸せな時も、

12歳の時に祖父が結核で亡くなったことで変わっていきました。


それまで自分の生い立ちについてまったく知らなかった母でしたが

葬儀の時に、口さがない親戚から

実子でないことを明かされることになります。

こんなに自分を愛情たっぷりに育ててくれた両親が

血のつながった親でないと知ったときは

両親を愛するがゆえに、ほんとうに悲しかったそうです。

だからこそなおさら、この母を守っていくのは自分しかいないと

心に決め、祖母もそれから女手ひとつで母を育てあげました。


23歳の時に、札幌で出会った父と恋をして、結婚して

それから父の仕事の関係で東京にでてきたのが24歳の時。

すぐに子供を授かったのですが、

悲しいことに生まれてすぐに亡くなり

それから9年間子供ができず、

もうあきらめかけたときに私が生まれたそうです。

そして、それを機に札幌に残したままの祖母のことを、

東京に呼びよせました。

それから両親と祖母、そして私の生活が始まったのですが

祖母を呼び寄せたことが、母の苦しみとなりました。



もともとしっかりもので気丈な祖母は、

家事の達人で掃除、裁縫、料理、どれをとっても

文句のつけようのないほど手際よく、

まずボンヤリと座っていることのない人でしたが

その反面とても気性の激しいひとでした。

私も中学生の時に、

反抗期で何か祖母に憎まれ口をきいたのかもしれませんが、

包丁を持って追いかけられたことがありました。

ただ私も母も、そんな祖母のことは重々承知、

愛情が深すぎるゆえのなせるわざと、

うまく切り抜ける術は知っていましたが

父だけは、そんな祖母に我慢ならなかったようなのです。

私が物心ついたころにはもうしゅっちゅう父と祖母が言い争いになり

間に入った母がとりなすことが日常茶飯事、

そしてどうしても弱い立場の祖母をかばって

最終的に父と母が言い争いになるのです。

家に祖母か父のいない日は、

私にとってほんとうに心やすまる日でした。

それから数年後、父が勤めていた会社が倒産、

社長の保証人となっていた父も一緒に借金を背負うことになり、

父の働きはすべてそちらへ回され、

家のやりくりは母の背にかかってきました。

当時手に職もない母のこと、

とりあえず手っ取り早いのが保険の外交員だったのです。

保険の外交と言うと、飛び込みの営業では、

目の前でぴしゃりと戸を閉められるのは当たり前のことでしたが

母の口癖は、どんなことでもいい、

自分に与えられた場所で一番になれるように頑張る、でした。


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続く。





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2007年06月04日

紫陽花忌

こんにちは、天然主婦ゆる子です。


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じいじは、今日を紫陽花忌と名づけました。

なぜなら母が大好きな花が紫陽花だったから

今日は、母の祥月命日。

土曜日に、スマの学校の用事の帰りにお墓参りをしてきました。

お寺のご住職のお母さまが

「今年は27回忌なのよね、ずいぶん経ちましたね。。」

えっ?そうなんだ。。

話によれば、じいじには手紙を出したのだけどとのこと。

あちゃ〜 今年は母も年忌だったのだ。

じいじには、帰ってきてから事情を聞いたけど

またみんな揃って、お墓参りに行かなくちゃね、

ということになりました。

27年ということは、

私が21歳の時に亡くなった母ですから

もう母と過した時間を、一緒に過せなくなってしまった時間のほうが

超えてしまったのですね。

どんな悲しみも、時間という薬が少しずつ癒してくれるもの

私も母のことを忘れて、日々を過せるようになってから

ずいぶん時が流れました。

そんな時ふと母を思い出すと

今の幸せな日々に心から感謝しなくちゃと思うのです。


母のこと、昔のことを思い返して書いたものがあります。

「母恋い」と名づけました。

明日から二回に分けて、ここに書きたいと思います。


そしてこちらは妻への気持ちを俳句にこめた父のメッセージ。


亡妻(つま)愛でし 花にしあれば 紫陽花忌

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今年も庭の紫陽花が咲きました。







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